第1回 代表者の戯言 山内社長との思い出
記念するべき代表者の戯言 第1回は山内社長(仮名)との思い出の話をさせてください。確か2003年あたりか、私は山内社長が代表を務める会社に転職をいたしました。山内社長はその当時60歳くらい。コンピューターを全く使えないという、これまた困った社長でした。2003年ともなれば、すでに物流業界でも販売会社でもコンピューターを中心とした在庫管理システム、受注発注業務システム、POSでの管理が当たり前だった時代のように思いますが、山内社長の会社(ここでは仮名ですが、株式会社山内物産といたしましょう)は頑なにPCでの管理を拒んでおりました。何と!信じられないことに、すべて記憶と紙ベースです。
私は何度も、根気強く山内社長を説得しました。PCベースでないなら私の同僚がどのような仕事をしているのか、私は知るすべがない。担当者が休んだらその担当者の取引先にどのような見積連絡が入ってきても何もできなくなる。だから、PCで見積書や納品書は管理するべきだ。顧客データはPCにすべて入力し誰でも確認ができるようにするべきだ。現在は在庫管理はPCで行うことが主流であり、商品価格は商品登録専門の担当が行うべき、見積書の管理や発送の管理もPCベースで行ったほうが効率的であり、社内の情報共有にもなる。
しかし、山内社長は一向に私の話に耳を傾けようとはしません。「PCで在庫管理したところで数字が合うわけがない。そもそも俺は電卓で計算された数字でさえも信用していない」「PCで見積書を書いたとしたら、商品を覚えなくなる」「PCで見積書を書いたとしたら、商品に詳しい営業マンがいらなくなる。お前が考えているシステムは素人のシステムなんだ」「俺はメールが嫌いだ。メールは相手の顔が見えない」
なんという時代錯誤でしょう。開いた口が塞がらなかったのですが、それでも根気強く説得を続けました。その後、私は在庫管理・販売システムを提案書という形で全社員に提出し、検討をしてもらうことにしました。
そして数ヶ月が経過した後、会社の忘年会の場に社員の全員が集まったとき、酒の席でなぜか山内社長はこの話を持ち出し、この計画はやめよう、ということなってしまいました。他の社員の人も社長の考えには逆らえないという雰囲気でした。何とも私が検討した計画を、会議ではなく酒の席で決めてしまう、というのはいかがなものか、と思いました。
私が山内社長を一方的に悪く書いているといいう誤解がないように、ここで山内社長の性格の話をさせてください。山内社長は大の酒好きで、二日酔いで会社に遅刻、二日酔いで出社不能、酒癖は悪く酒を飲むと気が大きくなる、などという典型的な昭和型の人でした。その反面、どんな人でも受け入れ、飲み歩き、どんな人でも打ち解けられたため、人望は厚かったように思います。あまり細かいことを気にせず、いつも大らかでした。人間性としてはいいのかもしれないのだけれど、社長に向いているかと、ちょっと疑問です。山内社長の口癖は「ウチは貧乏人は相手にしていない」「高いとか安いとか言ってきたらやめちまえ!」「粗利を上げろ」「離れたお客もいつか戻ってくる」でした。
私は【老害】、という少々、老人の方を茶化す言葉は好きにはなれませんが、会社というのはその時代の流れに合わせた経営をするべきだし、そうしている会社が伸びているはずです。山内社長は、PCの操作が出来ないなら、PCを使えるように努力していただくか、もしくはPCを得意とする秘書を置く、などにするべきだったのではないでしょうか?
私がopenkを開発した過程には、上記のような経験、反面教師があったからにほかなりません。見積→発注→入荷→ピッキング→発送という一連の流れは、山内物産での経験、いや、むしろ山内物産で本当はやりたかったことを具現化したソフトウェアなのです。
数年前に風のウワサで山内社長はお亡くなりになられたと聞きました。今となっては山内社長には大変、感謝しております。私が山内物産のひとつ前に勤めてした会社を辞めたくて辞めたくてどうしようもないときに、山内社長からヘッドハンティングのお誘いがありました。そして、普通の営業マンの方々が決して体験できないような素晴らしい経験をさせていただけました。しかし、販売方法について言いたいことがあります。
「山内社長、販売方法について申し上げますが、あなたの方法は間違っております」
2024/05/14up